「宿題忘れ」をどう考える?
- #丸山啓史
学校の宿題については、「宿題忘れ」といった言葉がよく使われてきました。けれども、宿題をしてこなかった子どもは、宿題を「忘れた」のでしょうか。それとも、「宿題があることは覚えていたけれども、してこなかった」のでしょうか。「宿題をしようとしたけれども、できなかった」のでしょうか。
出されている宿題が、その子にとっては難しいのかもしれません。意味のわからない筆算の式をいくつも目の前に並べられても、どうしようもないのかもしれません。見慣れない漢字で文を作るように求められても、ほとんど何も頭に思い浮かばないのかもしれません。大人に手助けしてもらい、長い時間をかければ宿題を仕上げることができるのだとしても、それを「やればできる」と言ってしまうのは危うい気がします。
もしかすると、子どもが宿題に取り組みにくい事情があるのかもしれません。たとえば、家族のケアを担っている子ども(ヤングケアラー)についての全国調査の結果をみると、「世話をしているために、やりたいけれどできていないこと」に関する質問において、「宿題をする時間や勉強する時間が取れない」という回答が少なくありません(株式会社日本総合研究所「ヤングケアラーの実態に関する調査研究」2022年)。
「宿題忘れ」を注意する前に、「宿題忘れ」が起こる理由に目を向けたいと思います。その理由ふまえて、対応を考えていきたいものです。
なお、いっそのこと宿題をなくしてしまえば、当然のことながら「宿題忘れ」はなくなります。
乱暴な提案のようですが、特別支援教育の観点からしても、考えてみる価値のある話だと思います。宿題がなければ、先生は「宿題忘れ」を注意する必要もなく、子どもが「宿題忘れ」で叱られることもありません。
宿題を完全になくしてしまうのは簡単なことではありませんが、できないことでもないはずです。「小学校では宿題を出さなければならない」などという決まりはないのですから。
筆者紹介
丸山啓史 京都教育大学 発達障害学科 准教授
著書に『宿題からの解放―子どもも親も学校も、そして社会も』(かもがわ出版、2023年)など
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